はじめに
新型コロナウイルスの蔓延が心配される中、政府は不要不急の外出をしないようにとの事発表がありました。
しかし、急を要する外出はするしかありません。
「劇場版 SHIROBAKO」を上映初日に見る。
これは人類の。そしてオタクの義務なのです。
※以降、ネタバレが含まれます。
映画 SHIROBAKO 本編について 概要
ミムジーとロロが出てきて、今までのあらすじ的な事を説明してくれます。
ただ、初見にはかなり厳しい駆け足な説明なので、劇場版を見る前にはテレビアニメ版(2クール)を視聴している必要がありそうです。
作中の時間軸
テレビ版の放送終了から4年。
つまり、2019年です。
TV版との対比
テレビアニメ版1話であったような、車のシーンから始まります。
しかし、TV版では公道レースで買っていた武蔵野アニメーションは、勝負にすらならずに出だしで負けてしまいます。
よく見ると、武蔵野アニメーションの商用車はボロボロです。
それは車だけの話ではなくて、武蔵野アニメーションの現状でもありました。
あれだけ魂を入れて作っていた第三少女飛行隊の2期は、別のアニメ制作会社が制作。
水着が脱げたり、明らかに一期のそれとは異なるアニメになっていました。
武蔵野アニメーションはその下請けといった形で一部の話数だけ担当…といった様相です。
社員も激減し(残っているのは5、6人…)、あの太郎ですら辞めていました。
一言で言うなら「衰退」。
当時の面影はありませんでした。
武蔵野アニメーション衰退の原因
それは、社長がなあなあで取り決めていた仕事が、無くなってしまったため…。
武蔵野アニメーションのオリジナルアニメを計画していましたが、その契約が無かった事になってしまったのです。
11話の絵コンテまで上がっていたのに、白紙に戻ってしまい、見切り発車していた全ての費用は赤字となってしまいました。
社長はその責任をとって武蔵野アニメーションを退職していて、多くのアニメーターや遠藤さん、ゴスロリ様含む原画マンなど…えまタソも…主要なキャラクターの多くは武蔵野アニメーションを去っています。
宮森だけが倒産は辛うじて免れた武蔵野アニメーションに残り、経営も苦しく人も全然居ない中で仕事をしていました。
人が居ないため、大きな仕事も取れず、ずっと低空飛行している様子が描写されます。
精神的にもかなり苦しい展開でした。
劇場版作成の依頼
そんな中、劇場版を作る話が舞い込んできます。
何やらどこかの会社が2年かけて全然仕事をしていないらしく、しびれを切らして武蔵野アニメーションに劇場版を作るように依頼をしてきたのです。
そこから、また宮森たちが奔走してアニメーションを作ってゆく…。
SHIROBAKOは、やはりアニメを作っていくその過程を楽しむものなので、個人的には作り始めるまではかなりストレスのたまる展開だと思います。
百合要素
絵麻タソと久乃木さんが同棲していました。
絵麻タソと久乃木さんが同棲していました!
心理描写の細かさ
とにかく、心理描写が丁寧です。
ただアニメを作る人々を描いているわけでは無く、各キャラクターの思いをいろんな設定で間接的に描いてくれます。
例えば、宮森の姉が結婚していて電話を掛けてくるシーン。
宮森がどこか停滞していて置いていかれているような印象を受けます。
CGの藤堂は、何やら後輩と上手く言っていないようで、どこかで聞いた「クオリティを人質にするな」的な事を言われて、悩んでいるようでした。
ずかちゃんは、声優としての仕事ではなく、バラエティなどでケーブルテレビ的な番組に出るようになっていました。
事務所は声優ではなく、タレントに近い売り方をしたいとの意向があり、本人の夢とのギャップで揺れ動く様が描写されています。
それらが間接的でありながら克明に描かれているのがとにかく見どころです。
TV版でも、太郎と平岡が日高屋で飲んでいるシーンでグッと来るのも、このような丁寧な演出があったからこそだと思います。
それらは、確実にTV版から受け継がれています。
本編中のパロディについて
SHIROBAKOは、TVアニメ版からかなりパロディが盛んでした。
新海監督の作品的なものなど、分かりやすいパロディもありましたね。
他の人が書いていなさそうなパロディについて書いていきます。
緋牡丹博徒
宮森達が着物を着て敵陣に乗り込むシーン。
肩を出して威圧するシーンは、おそらくここだと思います。
ちなみに「ようござんすね!」は、丁半(ギャンブル)のお椀を開ける前の確認する時の掛け声です。
黒澤明監督作品
キャプチャはありませんが、敵キャラに黒澤明監督の「7人の侍」「用心棒」を意識したような演出もありました。
アニメのパロディというより、やはり劇場版だからか映画のパロディが多い気がしました。
本当に伝えたかった事とは何か?
TVアニメ版から一貫して、アニメ制作を通じた「モノ作りの苦悩と、その果てにある楽しさ」を表現しているように思います。
良いものを作るために妥協を許さない姿勢はシリーズ中で常に題材としてありました。
今回は、そのクオリティを維持する難しさが切実に表現されていた気がします。
アニメ業界では制作期限や予算、人材の確保を含めかなり厳しい中、宮森達が奔走してそのうち擦り切れていってしまう。
その中で迷い続けていた宮森達が辿り着く先は、作中の映画「SIVA」と同じく決して最高のハッピーエンドでは無いとは思います。
それでも、彼らの生活は続いていき、武蔵野アニメーションもまた低空飛行ながらも飛び続けていくに違いない。
そう思わせてくれる映画でした。
アニメーション業界の変えなければならない所もあれば、そのまま守り抜いてほしい精神もある。
きっとそれはアニメーション業界に限らずどこにでもある、ありふれたものなのです。
劇場版SHIROBAKOは、アニメーション制作を通じて、
我々の日常に潜むどこか停滞した空気や自分が携わる世界への不信感もあるなか、可能な限りの力と思いと時間をかけて作り上げたものや関係。
それらはきっと売上や多くの人の評判などとは関係なく尊いものであると、そう言ってくれている気がします。
劇場版SHIROBAKOを見た後の人々は、きっとまた月曜から仕事に、学校に行くのでしょう。
作中ではどこにもそんなワードはありませんでしたが、見終わった後、きっとその「日常」を肯定してくれているような。そんな気がしました。
TVアニメ版の1~4話がYOUTUBEで公開中!
それでは。