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電脳コイル

これは紛れもない傑作です。
SF好きなら是非見てほしいし、また子供の頃の葛藤やぶつかり合いなんかも思い出して、懐かしい気持ちになれます。
それでいて、ストーリーは子供向けとは思えない程によく練られており、大の大人が見ても十分楽しめるのではないでしょうか。
電脳メガネと呼ばれるメガネを掛けた人たちは、電脳物質を認識する事が出来るようになります。
電脳ペットであったり、交通規制であったり、端末としてインターネットにアクセスしたりPCや携帯のように使うこともできます。
それらは、メガネを掛けていない人が認識する事はできません。
メガネを掛けている人から見た電脳物質以外の部分。現実にも存在する部分ですが、そのまま光を透過するのでは無く、街頭カメラから捉えて保存している映像と合成して映し出す機構らしいのです。
もし現実世界で地面に穴が開いた状態で、電脳世界でその事実が更新されて居なければ、メガネを掛けている人にその穴は認識されない事になります。
更新前の情報。
これは古ければ古い程危険だと言われています。
古すぎる空間に行くと帰って来れなくなるという都市伝説までまことしやかに囁かれる程に。
都市伝説。
こんな科学が発展している世界で、二番目の基板になるのがオカルトです。
主要な登場人物は全て小学生。
大人だったらまず信じないような情報を本気で信じて行動したりします。
ここの所は小学生らしい動きをしていて、関心しました。
子供と大人。
この住み分けがかなり明確に区切られていて、”大人の事情”だと思われるような部分は殆ど説明される事無く終わります。
最後に、電脳コイルが傑作だと思う最大のテーマ。
それは、
「本物とは何か?」
である。
実際に手に触れられる物と、手に触れられない、電脳空間にだけ存在している物。
そんな物で溢れている中で、
実在するペットも、電脳ペットも本物である、と言い切った所だ。
現実世界に存在しないペットでも、飼い主の思いの有無こそが本物であるかどうかを左右する。
“本物”の居場所は”心”であると。
触れられるものでも無く、触れられない物でもなく”思い”こそが本物だと信じて行動するべきだ。
このようなメッセージがこの作品には込められているのでは無いだろうか。
 
電脳ペットを失った主人公を母が抱きしめるシーンを抜粋します。
「優ちゃん、お母さんの体、あったかい?やわらかい?ちょっと痛い?分かる?優ちゃん。こうして触れられるものが、あったかいものが、信じられるものなの。ぎゅっとやるとちょっと痛いの。分かる?優ちゃん。それが生きてるってことなの。メガネの世界は、それがないでしょ。優ちゃん。戻ってきなさい、生きている世界に。あったかい世界に。だからメガネはもうおしまい。」
一見感動的なシーンに見えますが、主人公の顔は晴れません。
「この世界はみな、手で触れるものでできている。手で触ると、さらさらだったり、ふかふかだったり。これからは、手で触れるものだけを信じて生きていこう。手で触れられないものはまやかし。だから、この悲しい気持ちもきっとまやかし。本当は悲しくなんかない。こんな辛い気持ちもきっとすぐに忘れる。だってまやかしなんだもの。・・・本当に?本物って何?手で触れられるものが本当なの?手で触れられないものは本物じゃないの?今本当にここにあるものは何?間違いなく今ここにあるものって何?胸の痛み。今本当にここにあるものは、この胸の痛み。これはまやかしなんかじゃない。手で触れられないけど、今信じられるのは、この痛みだけ。この痛みを感じられる方向に、本当の何かがある。」
何が本当か見失った主人公が本物だと定義した物は自身の胸の痛みでした。
詳しい事は割愛しますが、主人公はもう一度メガネを手に取り走り出します。
Cドメインという特殊な電脳世界で変わり果てたペットの姿を見つけ、抱きしめます。
「真っ黒になってたけど、毛並みがふかふかだったよ。さよならが、言えたよ。」
この作品を見ていない人や子供の頃に見て覚えていない人。
是非見て頂きたいです。
音楽も素晴らしかった。